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神戸地方裁判所 昭和40年(わ)1457号 判決

被告人 小島利行

主文

被告人を禁錮六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和一六、七年ごろ大同海運株式会社に入社し、同二〇年二月ごろ甲種船長の免許を受け、同三七年五月二四日ごろから同社所有の貨物船「りつちもんど丸」(総トン数九、五四七・二二トン、デイーゼル式発動機一三、〇〇〇馬力一基)に船長として乗務していたものであるが、同三八年二月二六日午前零時三〇分ごろ、同船の船橋にあつて操船の指揮をなし、名古屋港に向け神戸港第三突提M岸壁を出航し、同港第一防波提の東端の第一関門を通過した後、機関用意を解除し、同一時二分ごろ友ケ島水道に向け真方位二〇七度に定針して約一七ノツトで航行し、操船の指揮を続けていたところ、同一時三分ごろ、船橋前面中央レピーターコンパスの右側に位置して、折から当直として船橋内に来ていた二等航海士青野誠一と共に自らも見張りをしていた際、自船左舷船首約一〇度方向約一・五海里先に衝突の虞れのある横切り関係で来航してくる貨客船「ときわ丸」(総トン数二三八・九八トン、焼玉発動機二四〇馬力一基、船長加藤恵美夫外乗組員一一名乗客約五〇名)の白緑二灯を発見したが、このような場合、船長としては、航行中の右他船の動向を自ら注視するか見張員に注視させるかしたうえで、状況の推移に応じて衝突を避けるために適切、適確な操船の指揮をなすべく、殊に相手船が避航義務を負う場合であり、しかも夜間に相当に接近しており、自船は針路、速力を保持する義務を有するのであるから、衝突を避けるべく余裕をもつて確実に疑問信号を発し、相手船の意向が不明の場合は、さらに続けて注意喚起信号や疑問信号を繰り返して相手船に避航を促すか、少くともその動向(右転か左転か)を明らかにするように促し、そのうえそれに対応する措置をとる等、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、これを怠り、右「ときわ丸」の動向に注意を払わず、右青野に同船の監視を命ずることも、自ら注視することもしないまま、また疑問信号や注意喚起信号を発することなく漫然と航行し、同一時五分ごろ、右「ときわ丸」が避航する様子もなく(方位の変更が認められないまま)左前方一、〇〇〇メートル余り先に接近しているのを認めて狼狽の余り、疑問信号(短音五回以上)を鳴らしそこねて長音一回の汽笛を吹鳴したのみで、その後「ときわ丸」においてその動向を示す信号も避航の気配もないのに、これに対し音響信号を続けることもなく、結局確実な疑問信号は一度も吹鳴しないで航行を続けた等の過失により、右「ときわ丸」をして避航義務の存在を感知せしめることがおくれ、同一時六分少し前ごろ、「ときわ丸」が速力約八・五ノツトで左舷前方約六〇〇メートルに接近した際、同船が左転して自船の前方を横切ろうとしているのに、そうではないかと疑いを抱きながら、その動きを適確に把握できないまま、接近してくる「ときわ丸」と衝突の危険を感じ、これを避けようとしてとつさに「面舵一杯」を命じて自船を右転させ、引き続き「機関停止」「全速力後退」を命じたが間に合わず、同一時六分三〇秒ごろ、元和田岬灯台より真方位約一八七度約四、三〇〇メートルの海上において、右方に回頭して真方位約二二六度に向けた自船船首を、激左転して船首をほゞ北北西に向けた右「ときわ丸」右舷側の船尾より約四メートルの個所に、前方より約七五度の角度で衝突させ、同船腹に破口を生じさせて浸水せしめ、同一時一四分ごろ、元和田岬灯台より真方位約一九六・五度約四、三〇〇メートルの地点で沈没させ、よつて、間もなく同所付近の海域において別表死亡者、負傷者各一覧表記載のとおり、乗客山県利行外三九名乗組員亀井正清外六名合計四七名をそれぞれ溺死させ、乗客松村和子外六名にそれぞれ傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

弁護人は、ときわ丸初認の方位がりつちもんど丸の左舷船首約一〇度であるとの点を争つて、より広角度である旨主張しているが、青野誠一の検察官に対する昭和三八年三月一日付供述調書および被告人の検察官に対する同月一四日付供述調書によれば、ときわ丸はりつちもんど丸の船首左舷側デリツクポスト一番と二番との間に見えた事実が認められ、右事実は実況見分の際供述の信憑性は高いものと判断され、りつちもんど丸の構造から検討すると、左舷船首約一〇度と認められる。ちなみに、ときわ丸は一時過ぎごろ長田苅藻方面に向つていたとの弁護人の主張に副う事実は認めるに足りる証拠はなく、前掲の加藤恵美夫および三原義春の各供述調書(尋問調書を含む)により、元和田岬方面に向つていたものと認めざるを得ない。

なお、青野誠一の検察官に対する昭和三九年一一月二七日付供述調書および能丸喜義の検察官に対する同月一〇日付供述調書ならびに当公判廷における証人吉田一男の供述によれば、りつちもんど丸が使用したコースレコーダーには、時刻および方位の度数にずれがあり、時刻度数については一五分進みであつたこと、方位度数については第三象現(一八〇度から二七〇度の間)において目盛巾約一度のゆき過ぎがあつたことがそれぞれ認められる。右コースレコーダーの記録紙は本件の重要な証拠資料であるから、ここに右事実を明らかにしておくこととする。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、船を沈没させた点は刑法一二九条二項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、人を死傷に致した点はいずれも刑法(行為時において昭和四三年法律第六一号による改正前の刑法裁判時において右改正後の刑法)二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するが、右各業務上過失致死傷の罪については犯罪後の法律により刑の変更があつたので、刑法六条、一〇条によりいずれも軽い行為時法の刑によることとし、以上の各罪は一個の行為で五五個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い山県利行に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、その所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処することとし本件の結果は極めて重大であるが、この原因の主たるものは、ときわ丸側の著しき過失にあるものというべく、これに比し原因の一端をなす被告人の過失は軽微であり、また死亡者の遺族、負傷者との間に相応の示談が成立しているので、これらの情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予することとする。なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(被告人の過失について)

本件における被告人の過失は、前方注視義務違反と汽笛を適切、適確に吹鳴しなかつた点に認められる。

(一)、まず前方不注視の点につき検討するに、青野誠一の検察官に対する昭和三八年三月一目付および同年四月三日付供述調書によれば、被告人は、長音一回を吹鳴する直前に、「おつ」とか「あつ」とか声を発したことが認められる。そして右長音は、既に判示した如く、被告人が疑問信号(短音五回以上)を吹鳴するつもりでいたのに、誤つて長音になつてしまつたものである。右のような事実を見れば、他に特段の事情のない限り、被告人はときわ丸の動静が正常でないこと(即ち横切り関係において避航船であるときわ丸が依然として避航しようとしていないこと)にはじめて気づいて狼狽したものと判断せざるを得ない。もつとも、検察官が主張するように、被告人がこのとき、ときわ丸をはじめて発見したとすることは、船の動きを見極めるのに多少の時間を要することからみて、不自然であり、その意味では、一時三分ごろときわ丸を認めたという被告人の供述も一応信用することができよう。しかしながら、判示事実の如く、被告人は見張員にときわ丸の監視を命じたこともなく、自ら双眼鏡を使用したこともなく(被告人の検察官に対する昭和三八年三月一四日付の図面等の添付された供述調書)、ときわ丸が接近しているのを知つて慌てた事実、さらに衝突直後においても同船を機帆船らしきものと考えていたもので(被告人の司法警察員に対する同年二月二七日付供述調書)相手船の船型を最終的にも確認していない事実等をみれば、被告人が前方注視義務を十分に尽したものとは到底認められない。むしろ、被告人は、横切り関係においてときわ丸が避航義務を負うことから、ときわ丸側で避航してくれるものと軽信し、その動向を十分に注視しなかつた結果、ときわ丸が避航することなく(即ち方位が変らないで)、接近してきているのを知つて狼狽したものと認めるのが相当である。そして、被告人がときわ丸の動向に十分注視していたならば、本件衝突を回避するために、後に述べるような適切な手段をとり得たものと考えられる以上、被告人の前方不注視は、本件衝突の結果を惹起した原因となる過失の一態様をなすものと言える。

(二)、次に、適切、適確な汽笛の吹鳴義務について検討すると、本件横切り関係においては、避航義務を負うのは同ときわ丸であり(海上衝突予防法一九条)、りつちもんど丸は針路、速力の保持義務を負う保持船にすぎない(同法二一条本文)。従つて、本件衝突の主な原因があらかじめ航法に従つて右転退航しなかつたときわ丸側にあることは論ずるまでもない。ところで、避航船が避航しない場合に、保持船は如何にあるべきなのか(海上衝突予防法二一条但書にいう協力動作については後述)。この点について考察するに、保持船は、衝突回避のための避航義務を負わない点において権利船であるが、針路、速力の保持義務を負う点では義務船でもある(通常義務船と言えば避航船を意味するから、ここでは用語を異にしている)。そして協力動作に移るべき時期が来るまでは、原則として右義務から解放されない。従つて、衝突の危険を感じた場合にも自由に衝突回避行動に出ることは許されず、保持船の操船者には、避航船が避航してくれるのを待つ際に忍耐が要求されるとも言われ、従つて衝突の回避は専ら避航船の避航にかかつているともいえる。しかしながら、その際保持船は避航船のなすがままに手をこまねいて見ているより手がないというものではなく、殊に避航船において避航義務の存在に気づかないことも考えられるので、保持船は避航船に対し適切な時期に適確な方法で避航義務の存在を知らせ避航ないしその動向(右転か左転か)を明確にするように促すことができる筈であり、また促すべきであると解するのが相当である。即ち、保持船の側で避航船は全て適切に避航してくれるものと信頼し、保持義務を尽しておればそれで注意義務から解放されるというものではないと解すべきである。そして、相手船に避航を促す方法として最も利用されるべきは汽笛の吹鳴であろう(海上衝突予防法二八条参照)。もつとも、海上衝突予防法二八条二項によれば、疑問表示信号を鳴らすことができる旨定められているのみで、吹鳴することを義務づけられてはいない。しかし、それは単に汽笛を吹鳴しないこと自体が義務違反として問題にされることはないというにすぎないのであつて、衝突という違法な結果の発生が予想される場合に、もし相手船に避航を促しこれによつて相手船が避航し衝突が回避できると認められ、かつ避航を促す手段として汽笛の吹鳴が適切であると認められるときは、汽笛吹鳴義務があるものと解するのが相当であり、その義務違反は過失を構成するものと言わなければならない。これを本件について見るに、被告人は長音一声を吹鳴したが、それはときわ丸に対し十分な警告とならなかつたこと(三原義春の前掲尋問調書および前掲供述調書等によれば、三原は長声を聞いていないものと認定される)、および既に判示した如く、ときわ丸が右転するか左転するか衝突の寸前まで被告人には明確に判断し得なかつたこと等を併わせ考えると、もつと確実にさらに続けて疑問信号を吹鳴すべきであつたものと認められ、この点でも被告人の過失は存在するものと言わなければならない。

(協力動作について)

本件公訴事実によれば、協力動作として被告人に要求されているものが二つある。一つは、一時五分ごろ機関停止、全速力後退等の措置をとるべきであつたというものであり、他は、一時六分少し前ごろ直進もしくは左転すべきであつたというものである。しかし、左記の理由によりこれを認めることができない。

(一)、機関停止、全速力後退等の措置をとるべきであつたことの点について検討するに、なるほど、前記判示事実のとおり、被告人は一時五分ごろ、ときわ丸が横切り関係から避航する様子のないのを認めながら一時六分少し前ごろになつてはじめて、りつちもんど丸の「機関停止」「全速力後退」を命じている。しかし海上衝突予防法二一条但書によれば、「進路を避けなければならない船舶の動作のみでは衝突を避けることができないと認めたとき」協力動作をしなければならない旨定められており、避航船の動作により衝突を回避しうる余地がある場合には、未だ保持船側に協力動作の要求される時期は到達していないと解するのが相当である(もつとも、ここでは協力動作に移らなくても刑事上の過失責任は問われるべきではないという趣旨であつて、その限界線まで保持義務が存在し、従つて速力停止行為に出ることは常に保持義務違反として過失責任を負うべきだと判断したものではない。)。ところで、本件においては、一時五分ごろを過ぎても一時六分少し前ごろであれば、ときわ丸が避航すべきことに気付き右転(激右転)して衝突を回避する行動に出た場合には、衝突回避が可能である(証人吉田一男の当公判廷における供述)と認められる余地があるので、被告人に一時五分ごろ機関停止、全速力後退等の協力動作に移らなかつた過失があると認めることはできない。

(二)、直進もしくは左転すべきであつたとの点について検討するに、そのような協力動作が要求されるには、ときわ丸が左転していた事実を被告人が認識していたかないしは通常の操船者なら認識しうる可能性のあつたことが前提となる。けだし、海上衝突予防法一九条、二二条により、避航船が左転して保持船の前方を横切ることは通常ではあり得ないことだからである。従つて、避航船が左転しつつあることが明確である場合とか、短音二回を吹鳴して左転の意思表示をしている場合等、特別の事情が存在しない限り、保持船において避航船の左転を予測して操船すべきことを要求することは許されないと解すべきところ、本件においては、そのような特別の事情が存在したと認めるに足る証拠はない。もつとも前記判示事実のとおり本件衝突前に、被告人はりつちもんど丸の船首を右方に回頭しており、ときわ丸はその船首を激左転しているが、これは全く衝突直前のことで、被告人としては、ときわ丸の動向を適確に把握できないままに、ときわ丸が通常の航法である右転をとるものとして、取つた措置であつて、結果的にときわ丸が左転しておることから被告人に対しその航法に過失ありとして責めるのは酷である。即ち不可能を強いるに等しい。結果論をもつて直ちに過失の有無を断ずるわけにはいかない。従つて、この点についての協力動作移行義務違反を内容とする過失は認められない。

なお、付言するに、協力動作とは避航船が避航しようとする際に保持船側でこれに協力することであるから、避航船の避航動作(右転か左転か)が保持船側に明らかにならない以上、保持船が協力動作に移行することを要求するのは論理的に無理を強いるものである。従つて横切関係が続いている場合は、まず保持船としてなすべきことは避航船に避航を促すか、少くともその動向を明確にさせようと促すことにあるのは既に述べたところである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 三木良雄 土井仁臣 孕石孟則)

別表〈省略〉

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